11.比較する意味を考えていますか?

大切なお子さまを他のお子さまと比較していませんか?

比較:二つ以上のものを互いにくらべ合わせること。辞書に載っている意味です。
「比較するな。比較しても意味はない」という方がおられます。たしかにその通りだとも思います。しかし今のこの時代に比較をするなということもなかなか難しいことでもありますよね。

現在23歳と21歳になる私の子どもたちにはこう言ってきました。
中間テストや期末テストの本当の名称は「中間考査・期末考査」。考査とは、「習ったことがどこまで理解できていて、理解できていないところを発見して再度勉強しなおすためのもの」それと考査結果の順位(今は分布みたいなもの?)は、「自分の目標を達成するために、自分の立ち位置が確認できるもの」目安としてあと何点!あと順位を何番上げる!という自分のやるべきことを確認するためのもの。

誰誰に勝ったとか負けたとか。何番だからすごい。全然意味がないことだとも伝えてきました。比較はあくまで自分の目標を達成するために必要な手段のひとつであること。を伝えてきました。

こんな研究分野があります。
人は他との比較をするときには、ニューロロジカルレベルの「能力・行動・環境(結果)」を比べていると言われています。

人は「目に見えてはっきりとわかりやすいもの」に意識が向きやすいと言われています。

そして、人と自分を比べやすい人は、自分ですら「能力・行動・環境(結果)」で自分を推し量っています。だから他人のこのレベルが気になり、比べてしまいます。

反対に、人と自分を比べない人は、「価値・信念」「自己認識・使命」に意識を向けていると言われています。
価値:何が大事か
信念:物事のあるべき姿
自己認識:自分は何者か
使命:何をするのかではなく、その行動は誰の、何のためなのか

これらは、すべて目に見えないもので、自分自身が感じる(発見)するもので、他者から与えられるものではないことを理解しています。
従って、能力等は「価値・信念」「自己認識・使命」を実現するための「手段」と捉え、必要であれば自分より優秀な人に「任せる」ことすらできます。
そして得たい結果を得ることが何よりも大事だと考えています。

比較するとその結果に対して人は「感情」が湧いてきますよね。良ければ「優越感」が、悪ければ「劣等感」がみたいな・・・
その感情を湧いたままにしておくと
「優越感」は、自分自身の油断や他者への攻撃に。
「劣等感」は、自信の喪失や他者への妬み嫉みに。なることが結構ありますよね。

比較後出てきた感情は、常に前へ進むためのエネルギーに変えられると、比較も悪いものでもないのかもしれません。
「優越感」は、油断大敵、まだまだ!まだまだ!(世界一になればいらないかも)
「劣等感」は、努力不足、これから!これから!
みたいな感じですかね(^^♪

考え方や価値観は人それぞれですので、私はいつもこう思うようにしています。「自分が、又は家族が、友人が、幸せになるためには!」という視点を必ず持つようにしています。出来ていない時もありますがね( ゚Д゚)

自分の大切な子どもを他の子どもと比べて、誰かが幸せになることはあるのでしょうか? 出来ないことがあっても、今まだ出来ないだけであり、これから!これから!です。子ども(特に小さければ小さいだけ)の可能性は「無限!」だと、私は35年間この仕事を通して感じています。